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なぜ出羽三山塔?(2) 出羽三山とは [地域の歴史探訪]

出羽三山塔の一番上にあったマークのようなものですが、
「種子(ビージャ)」というものようです。
梵字で三山のそれぞれの権現様(神様)を表したもの。
音にすればマントラということでしょうか。

さて、今回は出羽三山について。
そもそも出羽三山とは何なのか。

三山の社名と御祭神は以下のとおり。
(山名)   (社名)               (ご祭神)
月山    月山神社(がっさんじんじゃ)   月読命
羽黒山  出羽神社(いではじんじゃ)    稲倉魂命(伊氏波神)
湯殿山  湯殿山神社(ゆどのさんじんじゃ)大山祇神、大己貴命、少彦名命

「出羽三山神社」の公式サイトが見られれば一番良いのですが
現在メンテナンス中で、残念ながら見ることができません。

山形県のホームページより。
月山・羽黒山・湯殿山の総称である出羽三山は、第32代崇峻天皇の皇子・蜂子皇子によって開山されて以来1400余年の歴史を持ち、古くから山岳信仰の霊山として知られている。現在でも、山伏修行や白装束姿での参拝など、羽黒派古修験道独自の宗教文化の流れを汲む祭や風習が各地に残る。
http://www.pref.yamagata.jp/ou/somu/020020/03/smile-yamagata/vol_001/6-meisyo.html

昔は三山とも山がご神体だったようですが、
現在でも神体山として信仰が残っているのは湯殿山だけのようです。
湯殿山は三山の奥の院とも称されるそうです。

出羽三山を開いた蜂子皇子についての興味深い話を見つけました。
出羽三山神社発行の「出羽三山史」に書かれていることのようです。
そちらのページの「出羽三山を開いた蜂子皇子と羽黒修験道」の一部抜粋を
以下に転載させていただきます。
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/file2/dewa3zan.htm
 古代の出羽はいわゆる蝦夷の国で、初めて田川郡が置かれたのは、天武天皇十一年(682)であるという。

 出羽三山を開いた蜂子皇子(はちこのみこ)は、三十二代崇峻天皇の第一皇子であった。しかし蘇我馬子らの横暴を避け、聖徳太子の勧めにより仏門に入り、弘海と称し旅に出る。

 推古天皇元年(593)に出羽国由良に着くと三本足の大烏が飛んできて、皇子を導き鬱蒼と茂った霊山に着いた。ここは羽黒の阿古谷であった。
 皇子は滝を前に石の上に端座すると、やがて羽黒の大神が出現し、神の云われるまま苦行を積むとさらに大神のお告げを受け、同年秋月山に登り、月山大神を拝し、さらに同十三年には湯殿山に至り、湯殿山大神の霊徳を感受した。

 皇子は、皇子を導いた三本足の大烏の羽色にちなんで、山を羽黒と名付けたと云うことである。
 蜂子皇子は不可思議な呪術をもって人々の教化を行い、病を治し、災いを除き人々から苦悩を除くという意味から「能除仙」と称せられ、また「参仏理の太子」といわれたという。
 参仏理とは身振りの意義を持つ言語で、古代呪師のようでもあり、また羽黒神が一説に玉依姫命とも伝えられており、古代巫女の面影を感ずる。


今回の岩戸開きで、月山の北西にある高倉山には
那須岳に続いて神々がご降臨されていました(ユニティ・デザインHP参照)が、
古代からのつながりがあってのことだったのですね。
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