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大山道の庚申塔 [地域の歴史探訪]

出羽三山塔の謎解きはちょっと一休み。

3つの出羽三山塔の写真を撮った日に
地図に載っていた庚申塔を続けて確認しに行きました。

3つめの出羽三山塔のあった自動車道路をそのまま東に進む(上り坂)と
交通量の多い交差点に道標を兼ねた庚申塔があります。
すぐ横に案内板も立っています。
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0902030072F.JPG

この庚申塔は文字がはっきりとしています。
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左面は、
中央「文化六巳年十一月吉日」(「日」は半分土台に埋まってます)
左「北八王子道」、右「西大山道」

右面は、
左「南ふじ沢」、右「東かしを」、その下の中央に「道」

参考までに、文化六年は1809年、
三つ目の出羽三山塔の天保十四年は1843年です。

大山の信仰圏が、
「県内・千葉・東京の商人・職人層をはじめ、関東地方・東海地方まで」
・・・そんなに広い範囲だったとは、これを見るまで知りませんでした。
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