大山道の庚申塔 [地域の歴史探訪]
出羽三山塔の謎解きはちょっと一休み。
3つの出羽三山塔の写真を撮った日に
地図に載っていた庚申塔を続けて確認しに行きました。
3つめの出羽三山塔のあった自動車道路をそのまま東に進む(上り坂)と
交通量の多い交差点に道標を兼ねた庚申塔があります。
すぐ横に案内板も立っています。
この庚申塔は文字がはっきりとしています。
左面は、
中央「文化六巳年十一月吉日」(「日」は半分土台に埋まってます)
左「北八王子道」、右「西大山道」
右面は、
左「南ふじ沢」、右「東かしを」、その下の中央に「道」
参考までに、文化六年は1809年、
三つ目の出羽三山塔の天保十四年は1843年です。
大山の信仰圏が、
「県内・千葉・東京の商人・職人層をはじめ、関東地方・東海地方まで」
・・・そんなに広い範囲だったとは、これを見るまで知りませんでした。
3つの出羽三山塔の写真を撮った日に
地図に載っていた庚申塔を続けて確認しに行きました。
3つめの出羽三山塔のあった自動車道路をそのまま東に進む(上り坂)と
交通量の多い交差点に道標を兼ねた庚申塔があります。
すぐ横に案内板も立っています。
この庚申塔は文字がはっきりとしています。
左面は、
中央「文化六巳年十一月吉日」(「日」は半分土台に埋まってます)
左「北八王子道」、右「西大山道」
右面は、
左「南ふじ沢」、右「東かしを」、その下の中央に「道」
参考までに、文化六年は1809年、
三つ目の出羽三山塔の天保十四年は1843年です。
大山の信仰圏が、
「県内・千葉・東京の商人・職人層をはじめ、関東地方・東海地方まで」
・・・そんなに広い範囲だったとは、これを見るまで知りませんでした。
2009-02-08 09:00
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