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なぜ出羽三山塔?(1) 県内の伝承 [地域の歴史探訪]

どうして「出羽三山塔」なのか。

古道散策マップを見たときからの素朴な疑問です。
区のマップには「ある」ことが示されているだけで、
説明は一切ないのです(おそらくわからないからだと思いますが)。

図書館の郷土資料をちょっとだけ調べてみたけれど
出羽三山塔の建っている場所などのリストはあっても
その由来までは見つけることが出来ませんでした。

神奈川県内には数は多くなくとも結構あるようです。
いくつかの市のHPなどを見たら、だいたい数基ずつという具合。

そこで県内で出羽三山塔の由来について
何か情報がないかとさがしてみたところ・・・

平塚市のホームページには、以下のように書かれていました。
 千須谷の路傍に文化3年(1807年)造立の出羽三山供養塔があり、これには石塔造立のきっかけが伝承されています。千須谷村は水田の多くが谷戸にあり、灌漑用水は湧水や天水に頼っていました。したがって、日照りが続くと苗が植えられなることがありました。この文化3年も大旱魃があり、困り果てた村人は、代表者三名を出羽三山へ送ることにしました。おそらく、氏神社へ祈願しても大山不動へ雨乞いしても効果が無く、最後の手段として出羽三山参拝を決行した未曾有の大旱魃だったのでしょう。
 三山へお参りした代表者三名は、御神水で濡らした手ぬぐいを山伏から授けられ、「道々手ぬぐいが乾かないように、濡らしていくように」と言われました。それを忠実に守り、長い道中を旅してきた代表者が帰村するやいなや、待望の雨が激しく降り始めました。出羽三山の霊験に深く感謝した村人たちは、この供養塔を造立したのです。その後、旱魃が続くと石塔の前にゴザを敷き、雨乞い念仏を唱えるようになりました。この雨乞い念仏は近年まで行われていました。

http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/zukan/sanp0201.htm

これによれば、日照りに困った庶民が雨乞いをするために、
最初に、氏神さまに祈願して、かなわず、
 → 大山不動に祈願しても、かなわず、 
 → 出羽三山参拝して手ぬぐいを持ち帰って、成就した。
そしてその後も、出羽三山の供養塔を建てて雨乞いをした、ということです。

そういうエピソードはあったのだろうけど
それが「起源」かどうかというと、ちょっと違う気がする…。
大山がダメだと、どうして遠路はるばる出羽三山へ、となるのか。

大山と富士山に見守られている生活している地だったら
もし大山に行ってダメだったら富士山、というなら疑問にも思わないのだけれど。
(まったく事情がわからない現代人としては・・・)

川崎市かわさき区の資料にちょっと有益な情報がありました。
「庚申塔と出羽三山巡拝塔」(かわさき区の宝物シート)
http://www.city.kawasaki.jp/61/61kusei/kigyoshimin/pdf/08-07.pdf

これによれば、
東北各地から関東にかけて出羽三山への信仰は広く
江戸時代には「講」を組織して遠路参詣する習わしがあったようです。

「道中の無事の祈願あるいは参詣の記念として巡拝碑や供養塔が造立された。
御尊像を奉造するものや文字を刻むもの、御詠歌をしるすものなど様々な様式があるという。」

なるほど、この説明は納得できますね。

つづく。

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富士山の右が丹沢山地、左は箱根。丹沢のちょっと三角に高くなっているところが大山。
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きょうの空(09.02.06) [空のアルバム 2009]

ぴかぴかの青空♪
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昨夜、おでこに粟粒のような発疹を2つ発見。
これって・・・また三叉神経に帯状疱疹(__;)
しかも2年前と同じ時期です。

医者に行っても抗ウィルス薬は飲めないので(前回ひどい副作用が出た)
軟膏(これも抗ウィルス剤)をたっぷり塗って
「東洋医学セミナー」で習ったとおりに治療経脈を調べて
対応する経穴に磁石(ピップみたいな)を貼って寝ました。

アレルギーの症状で少し抵抗力が弱ってるのを見計らって
ヘルペスウィルス君が元気になって動き出すのですね。
今朝は休養のため正午までたっぷり寝ていました。

起きてみると、おでこの発疹がほぼ平らになってます。
早めの経脈治療も効いたのかな?
良かった。
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